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【全記録】公務員がうつ病で休職するまで−約10年前から最初の異変が始まった

ノートとカレンダーが置かれた明るい机の俯瞰

通院し始めたのは、約10年前。でも振り返れば、その予兆はもっと前からありました。

はじめまして、の方は自己紹介から読んでもらえたら嬉しいです。私はうつ病で休職中の、40代公務員です。

この記事では、私がうつ病と診断されるまでの経過を時系列で書いています。

振り返ると、途中には何度もサインがありました。当時の私はそれを「気のせい」「一時的なもの」として、見て見ぬふりし続けました。

今ツラいと感じている方の中にも、同じようなサインに心当たりがある人がいるかもしれません。

そういった方にとって、この記事が参考になれば幸いです。

目次

予兆は15年以上も前からあった

早朝の薄暗い寝室で天井を見つめる人物の後ろ姿

最初の予兆は、15年以上も前——入庁数年後の頃までさかのぼります。

初めての異動で、新しい仕事を任されたときのことです。業務を引き継いだ時点で、課題が山積みでした。

引き継ぎを受け、危機的な状況にあることを理解したので、ゴールデン・ウィークまではがむしゃらに働いていました。しかし張っていたものが切れたのか、連休明けにぷつんと何かが切れました。

「自分にこの山積みの課題を解決できるのか」

ふと我に返ることが多くなり、漠然とした不安と焦りが一気に押し寄せてきました。

不安が高じて、涙が出てきたこともありました。そんな姿を人に見られたくなくて、使用されていない会議室に籠もって一人で泣きました。

ツラかったものの、若かったこともあり気合いで乗り切る日々でした。

当時の私は、異動に伴う疲れによる一時的なものとして流していました。

その後は何度か異動を経験しました。異動のたびにツラさを感じつつ「この仕事はこういうものなんだ」「周りもみんな耐えてやっている」と自分に言い聞かせて、だましだまし続けてきました。

本格的な異変は10年前

決定的な異変が始まったのは、今から約10年前のことです。

異動に伴い、それまで経験したことのない未知の分野の業務を任されました。

未知の分野なので、内容がまったく理解できない。そんな自分の状況とは関係なく、年度スタートから待ったなしでいろんなことが動いていって、全然ついていけない。

会議では打ち合わせの内容が頭に入らず、自席で書類を作っていても、頭が真っ白になって手が止まりました。

そんな状況から不安や焦燥感が高まっていき、毎朝早くに目が覚めました。

目覚ましが鳴る前の明け方に覚醒し、そこから頭がグルグル回り続ける。

そして、出勤する頃にはもう脳が疲れ果てて冷静に考えられないという状況が続きました。

それまで言われたことなかったのに、周りの人から「最近、覇気がないね」と言われることも増えてきました。

そんな日々が続く中で、妻から後押しもあってメンタルクリニックへの通院を通い始めました。

ただ、当時の私は自分が「うつ病」だとは思っていませんでした。

「新しい分野の仕事が合わないだけ。慣れれば大丈夫。」そう自分に言い聞かせ、通院しながら続けていました。

一度持ち直して、通院をやめた

その後、職場の異動がありました。仕事も自分の経験ある分野に戻り、不安や焦燥感も徐々に落ち着いていきました。

この時期に一旦、通院をやめました。

「もう通うわなくても自分は大丈夫!」とはっきりとした強い意志があったわけではありませんでした。

通院予約していた日に急な仕事が入ってキャンセルし、別日に予約を取り直すはずがその再予約を忘れたまま、いつのまにか足が遠のいていました。

新しい職場はメンバーにも恵まれて、早朝に目が覚めることも減っていました。

「もう復活したのかもしれない。通わなくても大丈夫かも」そう自己判断して、通院を手放しました。

いま振り返ると、ここが分かれ道でした。

治ったわけではなく、原因から遠ざかっていただけだったんです。

波は、責任と一緒に戻ってきた

曇り空と晴れ間が交互に続く道を歩く人物の後ろ姿

そこから数年は、穏やかに働けた時期もありました。このまま続けられるかもしれない、と思えた時期です。

崩れ始めたのは、立場が変わってからでした。

一緒に働いていた同僚が異動し、私は新しく部下を持つ立場になりました。

ところが、その相手とはどうしても意思疎通がうまくいきません。関係者との調整も進まず、あちこちを自分がカバーして回るしかありませんでした。

精神的な負荷が少しずつ積み上がって、また早朝覚醒が始まりました。約4年前のことです。

「治ったんじゃない、環境がよかっただけ」

睡眠不足が続き、常に不安と焦りに追われていました。

このまま行くと、壊れてしまうかもしれない。そう感じたとき、もう一度病院に通おうと決めました。

同時に、はっきりわかったことがあります。

自分は復活したわけじゃなかった。ただ、環境がよかったから症状が抑えられていただけだったんだ、と。

最初の通院から、数年が経っていました。

気持ちが切れた日、そして診断

そして…とうとう気持ちが完全に切れてしまいました。

「ツラいので、休職も視野に入れています」と先生に伝えたとき、返ってきたのが「敢えて病名は伝えてなかったけど、うつ病だよ」という言葉でした。

このときの気持ちは自己紹介に書いたので、ここでは繰り返しません。診断書を出すまでの1週間のことも、別の記事にまとめました。

そこから病気休暇に入り、休職になりました。振り返れば、最初の予兆から17年、最初の異変からは約10年が経っていました。

振り返って思うこと

丘の上のベンチに座り歩いてきた道を見下ろす人物の後ろ姿

この記録を書きながら、思うことがあります。

15年以上続けてきて、楽しいと思えたことは、あまりありませんでした。もともと真面目で、悩みやすい性格です。

それでも、毎朝の憂鬱を飲み込みながら続けてきました。

会議室で泣いたあの日から、頭が真っ白になった日々、いつのまにか消えた通院、責任と一緒に戻ってきた波。

振り返れば、サインは何度も現れていました。ただ、そのたびに「気のせい」「一時的なもの」として、私は見送り続けたんです。

もしあなたが、早朝に目が覚める日が続いていたら。人の話が頭に入ってこなくなっていたら。それは「気のせい」ではなく、サインかもしれません。

私のように何年も目をつぶってやり過ごす前に、一度立ち止まって、自分の状態を気にかけてみてほしいです。

私も最初は病院に通うことに対する心理的抵抗はかなりありましたが、行ってみると意外と、セーフティーネットのような場所でしたから。

自分が壊れきってしまってから通院すると、回復に長い時間がかかるし、元の状態まで戻せなくなるかもしれない。

自分自身

まとめ

  • 最初の異変(早朝覚醒・頭が真っ白・常に不安)が始まったのは約10年前。予兆はさらに前からあった
  • 一度持ち直したように見えたのは、原因から遠ざかっていただけだった
  • 症状は、責任が増えるたび・人間関係がこじれるたびに戻ってきた
  • 「気のせい」として見送り続けたサインは、振り返ればずっと鳴っていた

休職という選択肢の話や、罪悪感との向き合い方も書いています。

「休職は迷惑」という罪悪感と向き合った話

→休職完全ガイド(準備中)

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